この文章はサークル"高い城の男"による「ESCAFRONE-FANBOOK-」の感想を元に加筆修正しました。当時と状況が変わっている部分もありますが、可能な限り当時のまま収録してあります。実は、全話は見てないんで、ちょっと気がひけますが。(^^;

1.少女漫画としてのエスカフローネ

 少年漫画であれば、ストーリー構成に詰まったら「毎週勝負」にしてしまえばいい のですが、エスカフローネは少女漫画なのでそうもいきません。ストーリー展開を通じて、誰が誰を好きなのか、という事を表現するほうが大切です。何の説明も無しにくっついたり離れたりしてはいけません。(漫画版を克・亜樹氏が連載されていますが、ラブコメ出身だけになんとかなっていますが、本来は高校生程度の年齢層年齢層向けに強い少女漫画家がやるべきでしょう。レディコミまでやると行きすぎの感がありますので要注意)
 少女漫画なんだから、エスカが不思議な力で動いていようが、幻の月があんなに近 くに見えようが、全く問題ありません。説明など気にせず、雰囲気と流れ重視で突っ走って欲しかったのが正直なところです。

2.プロデュースの手腕

 「大人って汚い」とか言われそうですが、この手のアニメやら何やらはキャラグッ ズや玩具が売れてこそ、美味しい商売になる訳だ。バンダイがセーラームーンで稼 いだ大半……いや、ほとんどはキャラグッズの筈。LDが売れたとしても数百億の予 算は立たない。(ガイナックスがエヴァンゲリオンで稼いだと言っても、フィルム分だけで全盛期のセーラームーン全売り上げを越える事など出来ない)
 資本主義に則り、エスカフローネを元に稼ぐ方法を挙げてみよう。
・ガイメルフなどのプラモデル化。
・キャラクターグッズ(瞳仕様のタロットなど)。
・ゲーム化。
 という訳で、低年齢層向けの物は成功しそうに無い。(スナック菓子の付録などは無理だろう)また、プラモデルを売るには毎回画面にそれなりの時間ロボットが出ていなければ難しいようだ。
 今、この作品を使っていくら稼げるか? その判断を正しくして、かつスポンサー を納得させられる者こそ有能なプロデューサーです。
(注:放映終了から1年以上経ってゲームが出たのだが、とっくに市場はエスカフローネを忘れていた)

3.物語としての評価

 重箱の隅をつつくようだが、ストーリー上で私が重要だと思った事について、少 し細かく掘り下げてみた。
・瞳は地球に帰るべきだったのか
 瞳はガイアに来て、地球に一旦戻った。それが演出上バァンとの結び付きを強化する”試練”だろうというのも納得がいく。しかし、全26話という流れからすると、あの地球への戻りはタイミングが悪いと思う。折角「なんか地球がすぐ近くに見えるのに全然戻れない」という孤独感が効果的に働いていたのに「なんだ、エスカでひとっ飛びじゃない」となると冷めてしまうのだ。(エスカがそれまでは飛べなかった、とかいう設定でもあれば納得できたかも)
 では、逆にシリーズ構成優先で、瞳が地球に帰るタイミングを考えてみよう。  やはり、理想は真中の13話であろう。これを境に前半はアレンへの憧れの恋物語、後半はバァンとの二股で揺れる乙女心の恋物語。少女漫画の王道だ。
・運命改変関係
 折角本物っぽいメカで盛り上げていたのに、この装置のせいで嘘臭い匂いが出てしまったようにしか思えない。運命を見る装置はそうでも無いのに、この差はどこから来るのだろうか。「未来は誰も分からない」環境において、瞳とドルンカークだけは未来を垣間見る事が出来る。このバランスを崩したのが違和感の元かも知れない。瞳は運命から逃れようと、ドルンカークは追いかけようとするのなら、装置など無くても「改変」への挑戦だ。26話しか無いシリーズで余計な要素を入れると、話の流れが中途半端に切れてしまう。掘り下げるべきポイントをしっかり押えておかないと視聴者はついて来れない。(エヴァンゲリオンも、本放送当時は大分置いてけぼりをしてしまったと思われる)
・ディランドゥの物語への関り
 途中まで「こいつは単なる戦闘シーンの為のキャラ」と思っていたが、最後のどんでん返しは見事だった。ドルンカークの非情さと、運命の過酷さを表現するには良い方法である。ある意味、本筋よりも良く練られていると言える。
・メルルの扱い
 これも「滑った」方に分類されてしまっても仕方ない。マスコットキャラとしては役不足、瞳のライバルとしては設定に無理があり、シリアス殺られキャラとしては失敗した。
 前半、バァンの立場と世界設定を表現するのに十分役立っていたのに、惜しい事だ。

4.音楽と画面、BGMとSE

 アニメに限らず音の要素は重要なのだが、このエスカフローネでは見事なまでに成功している。特にコーラス付きのBGMは出来が悪いと聞くに耐えない訳だから、素晴らしい出来栄えであったと言える。
 強いてあげつらうならSEでだろうか。異世界感覚を表現する為に、もう一工夫出来たように思えてならない。
 一方、この作品前後からサンライズが使い始めたCGによる画面効果についてだが、当時としてはかなり努力したと思われる。(注:映画「逆襲のシャア」でフィンファンエルの軌跡をCG計算画面からセルに書き起こした経歴もあるらしいが、本格的なものではなかった)
 このように、新技術の導入により表現の幅が広がるのは喜ばしい限りである。ただ、半透明や変形の表現は出来なかった訳では無いが大量の人手が必要であるので、現実的に予算の問題で実施不可能だった。人間が得意なデフォルメと、機械が得意な正確な計算を合わせてこそエスカフローネのような新しい作品を創造する事が出来たのだろう。

5.声優とリアルな演出の問題

 ジブリ作品「耳をすませば」が劇場公開されたとき、私はワーナーマイカル海老名 にてそれを観たのだが、その時のエピソードを記す。
 劇中、主人公の雫が「カントリーロード」をバイオリンに併せて歌うシーンがある。なかなか歌詞の内容も青春してて雰囲気に合っているのだが、なんと、歌がド下手なのだ。まぁ確かに、本物の女子中学生に歌わせたら下手な娘もいるだろう。しかし、このシーンはセル枚数もふんだんに使った”見せ場”です。それなのに、私を含めて観客の殆どは失笑していた。(くどいようですが、マニア客は数えるほどしかいなかった)歌を吹き替えてでも、作品全体を台無しにするようなものは排除すべきだろう。
 さて、前置きが長くなったが「エスカフローネ」にも同様な事が言える。
 ひとみの声は作品に合っているが、演技が合っていると言う人がいたら、それはお世辞でしかない。ロリコン声の声優が嫌いなら、いわゆる”人気声優”を使わなけれ ば良い話であって、やはり新人ではあの程度の演技が関の山だろう。たしかに、新人を現場で育てれば制作者側は楽しいだろう。しかし、それはクオリティを犠牲にしてでもやるべき事なのだろうか?
 逆に、脚本をその新人に合わせることが出来ればこの問題は解決する。笑う演技が出来なければ、笑うシーンを出さない話にしてしまえばいいの。「エスカフローネ」であれば、モノローグはなかなか良い雰囲気を出していたので、神崎瞳を無口であるという設定にしてしまい、言うべき事をほとんど”心の中で思った”事にしてしまうのが良いだろう。
 やはり、女子高生に女子高生らしい演技が出来るかというと、必ずしもそうでは無 い訳だ。世の中には本物の方が偽物らしく見える場合もある。昔の外国映画に出てくる日本が目茶苦茶なのも、その当時の外国人にとってリアルであれば、そちらの方が作品をより良い物にしてくれたからだろう。
 作品の為なら大嘘ついたって良いのではなかろうか。ステルスマントだって、よく分からないけど、”見えない演出”がリアルだった。
 とにかく、餅は餅屋なのでしょう。
(注:この後、ジブリは次回作の映画「もののけ姫」では新人を排除し、有名俳優をメインキャストに使った。また、演技力の必要なシーンで声に頼る事をせず、画面で勝負している。それでも、サンはミスキャストなのだが)

6.おわりに

 「天空のエスカフローネ」はアニメ技術的にも優れた作品で、こういった目立たないヒットがあってこそアニメ離れを食い止める事が出来たのかも知れない。
 また、芸術系の映画祭に出展しても違和感が無い作品であるので、一般人にも一度は見て欲しい。