論文 「ガサラキ」は何故流行ってないのか 手紙を出す

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「ガサラキ」は何故流行ってないのか

1.現実の戦争とSFの戦争

 今の子供は戦争を知らない筈だった。戦後生まれの我々若い大人も含んで、戦争を体験してはいない。しかし、疑似経験している。
 疑似経験の一つはゲームやアニメである。これはフィクションであって、戦争の極一部しか捉えていない。しかし、正面からぶつかり合うという非常に戦争らしい戦争である。もう一つは報道による他国の戦争である。これは同じ地球上の現実であって、戦闘だけでなく関連事項が見えたりする。また、外交工作や牽制は戦争らしくないが明らかに戦争の一部だ。

 湾岸戦争がまずかった。LIVE、つまり衛星通信による生の映像がリアルタイムで家庭に流れてしまった。あれ以来、戦争はロマンでは無く単なる経済行為だとバレてしまった。無骨な男が、戦争の犬が、命を賭けて戦う構図こそが過去のフィクションになっていたのが露見した。なにせ、ミサイルなのだ。男である必要なぞどこにもない。ボタン一つで飛んでいくアレは、戦争らしからぬ戦争を見せ付けてしまった。
 現実の戦争を知ってしまった、戦争を知らない子供たち。そんな彼らが戦争に何を感じたのかが千差万別であっても、彼らは「負け戦の嫌さ」を知ってしまった。負け戦では、ロマンなんざ屁ほどの価値も無いし、勝ち戦にさえそれは見出せない。

2.深読み

 何故日曜朝にこの番組を放映しているのだろうか。「ポポロクロイス」「ロボタック」「夢のクレヨン王国」「ひみつのアッコちゃん」ときた後で「ガサラキ」を見ろと言わんばかりである。(<東京ローカルな話ではありますが)
 ここから導き出される(短絡的な)結論は只一つ「右翼の金持ちがスポンサーになって国粋主義的教育アニメを作らせている」である。(ガサラキを見たお子様達がそう捉えてくれていない事はともかくとして、の話だ)
 そう思うに至った一つが、バンダイの入れ込み度が異様に高い事だ。日曜の番組だと言うのにかなりフィルムに費用も掛けているし、プラモデルも早い段階から市場投入されている。まるで「ガンダム」クラスの扱いだ。スポンサーというのは期待していない作品には金を出さないのが当然の市場原理であり、現在放映されている番組では「ガサラキ」より制作費用が明らかに半分以下であろう作品の方が多い。まさか、たまごっちで儲けた資金をPiPin同様、ドブに捨てようと言うのか。いや、そんな筈はあるまいから別のところから調達したに違いない。
 尚、この項目に関してはバンダイに調査をした訳ではありませんので、本気にしなくても大丈夫だと思います。

3.実験:「ガサラキ」を誉めてみよう

 幸いなことに、筆者は高橋良輔の傑作群を全く見ていない。(「ボトムズ」「ガリアン」「レイズナー」等)よって、比較で貶すという事が無いので誉めやすい筈だ。

 まず「ガサラキ」という意味深かつ不可解なタイトルが格好良い。「二足歩行兵器 ゴウワイザー」なんてタイトルにするより遥かに素晴らしい。
 そして何と言ってもTAのリアリティが良い。嵬の生体組織を流用してこそあのサイズのロボットがあれだけ敏捷性のある動きを可能にしたという科学とオカルトの境界線にある設定がかえってリアリティを出している。HONDAのP2だってあのレベルに到達するにはあと何十年もかかるだろう。
 更に、物語を盛り上げる豪和兄弟の会話描写が素晴らしい。金持ちならではの「家」意識や、逆に打算的な面とを併せ持っている人物を見事に表現している。

 取り敢えず、以上。(^^;

4.まとめ

 ここまで色々書いてみたら、何だか清々しくなってしまった。来週からは純粋に作品として「ガサラキ」を楽しめそうだ。
 間違っても、途中で方針転換なぞしないで突っ走って欲しい。今はただそれだけだ。