07/04
お題目:亜生命戦争異聞#11
クラーク議長に引き回された時のことは、古池もロブも、思い出したくないのが半分、思い出せないのが半分、といった状況だった。
おそらくは、マキネンにとっても同様だったに違いない。
あの日、委員会本部から出た後、まずクラークらに連れていかれたのは、さも高級そうなレストランだった。
古池はメニューに値段が書いていないのを確認した時点で、この状況からどうやって脱出しようかと考えを巡らせたが、食前酒のアルコールで正常な思考が麻痺させられていくのにさほど時間はかからなかった。
何年モノだか分からないが、古池の月収に匹敵するであろう高価なワインや、何々風だとか何々仕上げだとかいう聞いたことも無い長い接頭辞をもつ料理を楽しんだ後(もちろん三人には、それがなぜ高級で高価なのか実感することはできても理解することができなかった)、さらに下町の酒場に引っ張られ、そこで、ロブに言わせれば『阿鼻叫喚の惨劇』に付き合わされるハメになった。
議長が二軒目に選んだ店は商店の二階にあり、こじんまりとした作りで、赤提灯ほどに喧しくも、バーほどにお高く止まってもいない、好感の持てるところだ。
古いつきあいなのだろう、店のマスターはクラークを見るなり、何もいわずにジョッキを人数分、次々と差し出してウィンクした。
クラークは店のコーナーに席を取ると、ジョッキを皆に回し、乾杯の音頭を取った。
「ま、ダンツとナラヤナスワミには、一年ぶりの再開を祝して。君等には、出会いを祝して。そしてアヴァロン計画の成功を祈念して!」
一杯一リットルは入ろうかという巨大ジョッキになみなみと注がれたビールは、最初の一杯こそホップの苦みも嬉しく、スムーズに腹に収まってくれた。
が、その後が凄かった。
ダンツが年齢不相応に酒に強いのは知っていたが、クラーク議長はそれを遥かに上回る酒豪だったのは全く知るよしも無かった。
が、その飲みっぷりは古池らの議長に対するイメージを一蹴してしまった…既にバケツとかザルとかと表現できるようなレベルのシロモノではなかったのだ。
ナラヤナスワミ、ダンツ、クラーク議長の三人は、再開を祝して何杯かのジョッキを空にすると、今度はウィスキーをストレートであおり始めた。
「俺たちは、委員会の妖怪だからなぁ」
委員会がまだ設立準備段階だったころからの付き合いになるクラークらには、積もる話もあるのだろう。古池達のことはすっかり忘れて盛り上がっている。
やがてクラーク議長はウィスキーの、味というよりむしろアルコール度数に不満を漏らすと、メニューの上の方に太字で書かれたジンを注文した。
二杯目のビールの味に飽きてきた古池もつられて注文したが、凍りついたグラスの中に、粘性の高い液体がたっぷりと注がれて運ばれて来たのを見て、己の失敗を悟った。
そのジンは、水なら凍りつく温度に冷やされていた為にさほどのアルコール感は無かった。
が、それが胃袋と血液を経由し、脳に達したところで古池の意識は途切れた。
次の日、古池はどこか深い沼から引き上げられる様に眠りから覚めた。耳の奥で何か鳴っている。
チェックアウトを知らせるチャイムだ。
そのことに気がついた途端に猛烈な頭痛と吐き気に襲われた。
慌ててユニットバスに駆け込み、洗面台に胃の内容物を吐き出した。だが、出てきたのは胃液だけ。鏡を見ながら呆然とする。
やがて綿が詰まったような頭がようやく働きだした。
ここが宿舎となっているホテルだ。
確か、昨晩クラーク委員らに散々飲まされた後………
今何時だ?
慌ててユニットバスを飛び出し、ルームヴァレエ(室内サービス)にわめき散らす。
「い、いま、何時だ!」
だが、ルームヴァレエ(室内サービス)の音声認識システムに古池の酷い英語を理解させるまで、三回も深呼吸する必要があった。
「ただいま午前10時35分です。」
頭がスッキリしたわけではないが、ハンマーでひっぱたかれた位のインパクトはあった。
昨日予約した便に乗るためには、今すぐにでもチェックアウトしなければ!
慌ててスーツケースを確かめ、テーブルの上の書類を引っかき集めてバッグに詰めこむ。
来たまま寝てしまったコート類はどうしようもないが、顔だけでも、と洗っていると、ルームヴァレエ(室内サービス)が来客を知らせてきた。
「おい、古池!まだ寝てるのか!」
ロバートだ。が、昨日の酒が残っているのか、咽が潰れてしまったようなひどい声だ。
「今行く!」
そう応えた古池は、自分の声もまたひどいだみ声になっている事に気がついた。
ルームヴァレエ(室内サービス)が理解できないわけだ。
備えつけのタオルで簡単に顔をふき、バッグを肩に掛けた。
ずっしりした重さが、胃の不快感を爽やかに倍増してくれる。
スーツケースを引っ張ると、頭痛でガンガンする頭を刺激しないようにゆっくりと外に出た。
「おはようさん」
「何がおはようだ。時間がないぞ。」
ロブは古池が出てきたのを確かめると、そのままエレベーターホールに向かう。
古池も、ずるずると付いて行くが、胃の不快感と、頭の中に綿を詰めたような感覚が抜けない。
ロビーでチェックアウトの手続きをし、吐き気を抑えつつ急ぎ足で空港直行のバスに飛び乗っる。
席に付くと、ロブがサンドイッチを差し出してくれた。
「腹に入れとけ。空きっ腹じゃ辛いぞ。」
古池はロブの意外な心配りに驚いた。
「随分準備がいいな。何かあったのか?」
「ダンツの差し金」
ロブはそう言って苦笑した。ロブ自身も二日酔いが辛いらしい。
「あの爺ィ共は化けモンか?朝にこれ貰ったときピンピンしてたぜ。」
「まったくだ、信じられないよ。」
貰ったサンドイッチを、コーヒーで流し込むように食べる。
本来なら、窓の外を流れる景色を楽しむところだが、二日酔いの頭の方がそれを許してくれない。
古池はバッグを開けて、中を見た。何かして気を紛らわせた方が良い。
メッセージパッドを取り出してメールを調べると、楊からのメールが何通か届いていた。
『急ぎの連絡』を求めるものだったが、昨日メールチェックしてからもうこんなにメールを送ってきたとは思わなかった。
最後の一通にだけ添付ファイルが付いている。
開いてみると………
「古池博士(せんせい)!ちゃんと連絡入れてください!」
パッドのスピーカーが楊(やん)の声で怒鳴り散らした。
「うわ!」驚いてパッドを落としそうになる。
隣の席でロブが蒼い顔をして笑う。
「ば、馬鹿野郎。頭痛いんだから笑わせるな。」
「すまん。」
鼓動の度にズキズキと痛む頭を抑えながら、形ばかりの返信を送る。
直通バスはのどかな田園風景を抜け、ビルのそびえる都会の中へ滑り込んでいた。
旅券と身分照明カードを出しておかないと………
古池がバッグのなかに手を入れたところに、何か封筒が入っていた。
取り出すと、大きく名前が書かれている。
昨日、クラーク議長から貰ったものだ。
あの時は『開けるな』と釘を刺されていたが、一体何なんだろう。
古風な封緘を開けると、中には何種類かの書類が入っていた。
一番表紙側になる一枚を取り出す。
古池は見て凍りついた。二日酔いも何もすっかり覚めた。
バスは空港に到着し、皆が降車をはじめても古池は席を立とうとしない。
ほぼ全員が降り、ロブが古池をつつく。
「おい、着いたぞ。まだ寝てるのか?」
「いや…」
書類を封筒に戻し、バッグを抱える。酔いは醒めたが、足元はふらついている。
先にバスを降りたロブは、古池の分のスーツケースも受け取っていてくれたが、古池はそれに礼を言う事も忘れていた。
空港に入り、登場手続き窓口でロブに声をかけた。
「おい、ロブ」
「ん?何だ?空港(ここ)で飯を喰う時間はないぞ。」
「出張だ。」古池は虚ろなままだ。
「何だまたか。今度はどこだ?南極か?」
古池は何を表現しようとしたのか、数回手を振り、応えた。
「宇宙。」
では、次回の更新をお楽しみに。
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