11/07
お題目:亜生命戦争異聞#29

亜生命戦争異聞の29回目でし。
うおー、こんな事している場合じゃないのにぃ!、ぎゃー!
(現実逃避パワー全壊!)
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北山は、大学時代の古池の担当教授で、卒業まで7年もかかった上にみごとに就職浪人となった古池を、学会(アカデミー)の一員として認められるまで、研究室の助手として雇ってくれた恩人でもあった。
このころの北山の研究室には、当時は先輩だった小野らが、研究とは名ばかりの勝手気ままな学生生活を送っていた。
古池にとって北山の研究室は、就職浪人という火で尻を炙られながらも、無茶に無茶を重ねる事のできた、人生の中で最も気楽できままな場所であった。
北山はまた、関東北陸不可住地域帯(アネクメネ・ベルト)の専門家でもあった。
関東北陸不可住地域帯(アネクメネ・ベルト)は、西は福井から、滋賀、岐阜、長野、山梨を呑み込み、東は神奈川北部、東京全域、埼玉南部、千葉県半島部に至る、人間が長期間滞在することが許されない広大な放射能汚染地帯である。
500万人を越える被災者、一万人を越える死者を出した未曾有の大災害…『核の日』によって生まれた関東北陸不可住地域帯(アネクメネ・ベルト)の専門家となったのは、北山の行っていた研究に理由があった。
その専門は、環境改善技術。
本来は油や様々な化学物質によって汚染された土壌や、空気中の有害物質を取り除く為のものだが、放射性物質によって汚染された地域から、それらを取り除く為に北山の進めていた研究が求められたのだ。
汚染除去プロジェクトによって土壌などの改善を行い、その結果、不可住地域帯(アネクメネ・ベルト)の指定から外された地域は少なくない。
かつての川崎市や、さいたま市などは、周囲の地域に比べても残留放射性物質量は低く、そのレベルは広島や青森にも匹敵するほどに浄化された。
放射線汚染地域から危険な放射性同位体を取り除くために、様々な技術を駆使し、新しい機器を開発し続ける北山を称して、『コスモクリーナー』と呼ぶものも居た。
一世紀以上前のアニメーション映画からの連想だ。
しかし、その代償は、北山にとって小さいものではなかった。
プロジェクトに参加した北山は、不可住地域帯(アネクメネ・ベルト)に足を踏み入れて調査を重ねていくうち、自らも許容量を越えた放射線を受け、全身に重い放射線障害を起すようになっていたのだ。
北山に同行していた古池も、幾度も年間許容量を越える放射線を受け、その度に線量オーバーで汚染区域外に引き戻された。
古池はそのおかげで、未だに地球磁気圏外への旅行を制限されているほどだ。
放射線によって、全身が蝕まれた北山は、何故か補綴装具やナノマシンなどを拒んだ。
たしかに補綴装具は、放射線障害の根治治療とはいえないが、それでも近年の擬生体補綴装具の進化は目覚ましく、多くの被害者が日常生活を取り戻している。
北山は、そういった治療を拒否し、また、欠損遺伝子による障害…癌や様々な遺伝性疾病もあって、長い入院生活を余儀なくされた……
自宅のある、この鎌倉に戻ってきたのは、つい昨年のことだ。
モニタに表示される幾つかのみだれた波形はやがて落ち着いた形を取り戻し、あからさまに警告を発していた赤や黄色の点滅が消えた。
北山の呼吸も落ち着いてきた。
しかし、古池は北山の言葉を待った。
「……はは、すまない。待たせてしまった。」
溜息のような声。
「ところで……」
ベッドの上で身動ぎのような動きをし、やっとの事で体の向きを古池の方に向けた北山は、何回か深呼吸してから話し出した。
「仕事の方は、いいのかね?」
古池は、答える前に、ベッドのそばに椅子を持ってきて、そこに座った。
「ええ、環境改善用のマイクロマシンは、今耐久テストを行っている最中です。あと1年くらいは、テストを繰り返すことになりそうです。航宙艦も、もうそろそろ完成すると思います。でも、資材の積み込みはまだですし……」
「……君は、同行するのか?」
古池は、北山を見た。
自分より二回り近く年上だとは思えない若々しい姿。
それが、放射線によって、何らかの遺伝子が傷つけられた事が原因だと聞いてはいたが、その姿を見て驚きを隠すことはできない。
だが北山の顔に浮かぶ穏やかな笑みは、人生を重ねた老人のそれに他ならない。
えも言われぬ違和感の様なものを憶えつつ、古池は答える。
「委員会の方は、人選に着手しているようですが、まだ公表されてはいません。私も、もし選ばれたらどうするかは、決めかねています。」
「そうか」
北山は、もう一度深呼吸する。
「古池君。」
「はい?」
古池は椅子に深く腰掛ける。
「君に、渡しておかなければ、ならないものがある。」
北山は、窓側の椅子に座っていた老女、今となっては、親子ほどに年が離れて見える妻に、何か一言二言呟く。
ドアを抜けた老女は、あの書類と段ボールの山の中をするすると歩き去る。
彼女が戻るまで、古池も北山も、口を開こうとはしない。
語り合いたいことは、あまりに多く、そして時間はあまりに短い。
戻った北山の妻は、古池に小さな箱を差し出した。
古池は会釈してそれを受け取る。
北山は、箱を開けるようにうなずく。
箱を開ける古池。
「……!」
古池は言葉を失う。
箱の中には、メモリカードが収められていた。
ペタメモリ。最新型の記憶ディバイスだ。
ディスク状のメモリカードの中に、電子一つで一ビットを記憶する素子が埋め込まれ、その容量は、名前の通りペタバイト。10の15乗……つまり一千兆バイト。
想像もできない容量だ。
「今までやってきた研究の中で、君の役に立ちそうなものをピックアップして入れておくつもりだったんだけどね、いや、ペタバイトは広いよ。結局、全部入ってしまった。」
「全部?」
せき込みながらも笑いを絶やさず、北山は続ける。
「そう、全部。私の、全ての研究だよ。」
古池は、手に持ったディスクが、いきなり重くなったような気がした。
「選別と思ってくれ、貧乏人にできる事と言ったら、これくらいしかないからな。」
北山はここで深呼吸して、息を整える。
「なあ、古池君。」
「はい。」
「人間、これだけ生きていても、大した事は、できないものだ。」
首を巡らし、外を見る北山。
木々の上に見える夏の空は低く、白い塊のような雲がその一部を被い隠しつつある。
夕立が来るだろう。
「私の全ての研究が、たった一枚のメモリカードに収められてしまう。メモリカードの半分も、埋まっていない。その容量も、たかだか一千兆。一京の十分の一だよ。」
古池は口を開く前に、北山が続ける。
「正岡子規ではないが、病床六尺。いや、このベッドは八尺くらいはあるかな。はは、私にとっては、そこから見える景色が、全てだ。」
空は、雲に覆われ、ゆっくりと暗くなってきた。
「古池君、きみはいつも言っていたな。補綴装具さえ受け入れれば、こんな狭いところに閉じこもっている必要はないと。」
「……はい。」
北山は、もう一度古池の方に向き直って息を整えた。
「…私は、人間に限界があることを、忘れたくなかった……人間の身体、人間の感覚には、常に限界があることを。」
息を詰まらせながら続ける。
「だが、今さらになって、思う……私は、結局、私自身が……拘泥して、いただけでは、ないだろうか、と……」
息切れし始めた北山は、妻の手を借りて、ベッドに横になった。
医療機器の示表が、またせわしなく点滅をはじめ、パイプに繋がったポンプが、音も無く回転を始める。
古池は、北山の右手を握る。
北山の手はやはり若々しく、肌には張りがあった。しかし、その握り返してくる力は、あまりに弱い。
恩師の身体の中で、何が起こったのか、古池には分からない。だが、なにかが失われかけている事だけは、確かだ。
古池は、胸を締めつけられるような思いがした。
一時間もそうしていただろうか、北山が落ち着いた寝息のような呼吸をするようになって、ようやく古池は立ち上がった。
古池には、まだ済まさなければならない大切な用事が残っていた。
「古池君」
驚いて振り向くと、北山が、寝たまま古池の方を見ている。
「元気でな。」
「先生も、お元気で。」
恩師は、自由になる右手を、微かに動かして、答える。
古池は、ずっと付き添っていた北山の妻の方を見た。
彼女は、古池に会釈し、何もお構いで来ませんで、と非礼を詫びる。
微笑んで、それに答えた古池は、部屋のドアへと向かう。
北山の家を出ると、あたりは暗く、先ほどの暑さが嘘のように涼しくなり、周囲は何か重い沈黙に満ちている。
門を出て数歩も進まない内に、大粒の雨が落ちてくる。
「うわ。」
古池は、大急ぎで山道を降りる。
街灯がそこかしこで、点りはじめていた。
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29回目になってしまいました。次回は30回目です。
どうなるのかなぁ(汗)。
では、次回の更新をお楽しみに。
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